思考の整理箱

何かしらの経験を得たうえで考えたことをツラツラと書いています。とても理屈っぽいです。言うことが二転三転することがあるかもしれませんがご容赦ください。

僕の思考の土台にある「全肯定」について

さて、今日は何を書こうか。

 

ここ2,3年僕の思考の土台にあるのは「全肯定」というものである。「全部肯定したい!!」という意識である。

僕が中学生の時の卒業文集の中で唯一覚えているものがある。それは「好きな人にはもちろん、嫌いな人にも感謝をしている」という文である。なぜ「嫌いな人にも感謝ができるのか」について「嫌いな人がいるから好きな人の大切さがわかるから」と書いていたと記憶している。当時の僕はこの文章に非常に感銘を受けた。こういう、なんて言ったらいいのかよくわからないが双方とも、しかもそれは相反する感覚のものをしっかり「肯定」している感覚がなんかすごくイイと思った。

 

今日、ある人とLGBTQについて話をさせてもらった。大変勉強になった。その人が言っていたのがもっとLGBTQについて公に言える社会にしていきたいということであった。食べ物の好き嫌いを話す感覚でそういう話ができる社会にしたいということであった。僕はこの人の意見に賛成である。そのための土台としてやはり「全肯定」というものが非常に重要だと思う。

 

「肯定」というのは「容認」とは違う。「認める」というと非常に上目線の感じがする。そうではなくて「受け入れる」のだ。

 

僕はずっと「面白ければなんでもいい」と思って生きてきた。マキタスポーツさんのいうところの「『面白いこと』至上主義」である。なぜそう思って生きてきたかというと自分の中にあるマイナスな部分を「面白さ」というフィルターを通して「笑い」に変えることができればそのマイナスな部分が自分の武器にすることができたからだ。つまり「笑い」のもつ力にずっと助けられてきたのである。そして今、思うのはこの「『面白いこと』至上主義」こそ「全肯定」のための手段として一番なんじゃないかということである。

LGBTQについては専ら「『面白いこと』至上主義」で「全肯定」できることである。たとえば自分と同じ考えの人たちと「やんな?やんな?」「うん。うん。その通りだよ。」って納得しあって終わる会話もそれはそれで面白いかもしれないが、いろんな人がいて、いろんな話が聞ける。それで自分とは考えが相反するけれどもその考えが自分になにか刺激を与えてくれて、自分の視野が広がり他人と共有できるものが増える。そういう現場も絶対に面白い。どちらが面白いかということになれば個人的にはやはり後者の方が断然面白いと思う。そうやって考えるとLGBTQに関してももっと公なものにしていいではないかと思う。そして、「それおもろいやん!」ってお互いに「受け入れ」合えばイイではないかと思う。

 

僕は「全肯定」をするためにいくらでも意見を聞くし、いくらでも考えを変える。そういう変化もまた自分にとって面白いのである。

プレゼンテーション能力というか人に伝える能力の重要性

さて、今日は何を書こうか。

 

 ここ数年、プレゼンテーション能力というのが非常に重要だということを感じることがある。ここでいうプレゼンテーション能力というのは『自分が好きなものを伝える能力』のことである。さらに条件を限定するならば『自分が好きなものに興味を持ってくれた人に自分が好きなものがどれだけ面白いかを伝える能力』ということになる。

この能力を持っている人は意外に少ないように感じる。折角、相手が自分の好きなものに興味を持ってくれているのに、その好きなものの面白さを伝えられないというのはもったいないのではないだろうか。

僕は今までいろんなことに興味・関心を持ってきた。たぶん、僕はあらゆるものに対する好奇心は人一倍強いと思う。だからこそ、他人が「コレ面白いよ。」「コレいいよ。」といったものにはできる限り知りたいと思う。

しかし、その「コレ面白いよ。」「コレいいよ。」といった張本人のプレゼンテーション能力がイマイチだとそのあと自分で調べようとはあまり思わない。と言ってもそのあとできる限り自分で調べるのだが。だが、そこまで好奇心がない人からするとその最初のプレゼンがイマイチだと折角、興味を持ったのにその場だけでそのことに対する興味が終わってしまうこともあるのではないだろうか。これは本当にもったいない。

よく、お笑いファンやロックバンドのファンなんかにも多いのだが、「知らないならいいよ。」「ニワカは入ってくんな。」ということを言う人がいる。しかし、そういうのはどこか切ないし、面白くない。僕はできる限り多くの人といろんなものをいろんな形で共有したいと思っているからよりそう思う。

 

では、そのプレゼンテーション能力がある人とはどんな人だろうか。

一つは人間的魅力がある人である。人間的魅力というのはそのことについて圧倒的に知識を持っていたり、経験が豊富だったりする人である。話し方自体はそんなに上手いわけではないが、人間的魅力があるがゆえに聞き入ってしまう。好きなミュージシャンのライブでのトークなんかは完全にコッチであることが多い。好きだから聞き入ってしまう。それも大切なことである。

もう一つはおしゃべりの技術がある人である。

ではそのおしゃべりの技術がある人はいったいどのようにその技術を身に着けているのだろうか。僕自身の経験から書かせてもらう。

まず、その技術を身に着けるうえでもっとも重要なことは「本当に自分が好きなものを惜しみもなく人に伝えようとする」というある種の『熱量』を持つことである。本当に「相手に知ってもらいたい。」「相手と共有したい。」ということを前面に押し出したうえで、自分に酔いしれるかの如く語ることである。

そして、とにかくいろんな人に語って語って語りまくる。最低でも三人には語るといいだろう。その三人は仲間内で結構である。その時に、大切なのはどの話はウケて、どの話はイマイチかをしっかりと整理しておくことだ。ここでいうウケるというのは笑いをとるというのもそうだが、相手が興味を示すということでもある。

そうやって整理したうえで自分が持っている話の展開方法を決めるのである。展開というのはどの話を最初にして、どの話をどの話のついでにするか等である。そういうことを人に話す前と後に考えていれば自然とおしゃべりの技術は上がると思う。確かに多少の努力は必要かもしれないが、本当に人に伝えたければこんな作業は苦ではない。

そうやって周りにいる人にどんどん影響を与えていくほど面白いことはない。そして、その人たちと自分の好きなことを共有する時間もまた何よりも面白いのである。

 

さぁ、

今度はどんな面白い話が聞けるだろうか?

お笑いに対するスタンス

さて、今日は何を書こうか。

ここ二年くらいで色んな出会いのおかげで急激に自分が変わった。何が変わったかというと『お笑いに対するスタンス』である。

小学校二年の時からお笑いにハマり、今日の今日まで「面白いことがしたい!!」と生きてきた。当時はお笑い番組を人一倍見ていた自信もあったし、お笑いについて人一倍考えていた自信もあった。そして、なんといっても人前で漫才を作っては披露していた。それが僕のお笑いへの自信をより肥大化させていた。なので、僕はよくお笑いについて偉そうに語っていた。テレビでお笑いのグランプリがあるたびに「優勝者は誰で」、「あの漫才はあの漫才師と型が一緒で」とか。さらに自信を肥大化させた僕はクラスにいるおふざけキャラみたいな子を名指しで「あいつの笑いは笑いじゃないね。笑いってのは、、、、」とか語っていた。でも実際は、相手を否定することで、自分の格を上げるということをやっていたのだ。今、考えれば当時の僕はイタいと思うが、当時は真剣にそう思っていたから仕方がない。こんな奴が面白いわけがない。

しかし、高校に入って特に高校二年になってこの小学生の時のようなスタンスでお笑いができなくなった。なぜなら人一倍お笑い番組を見ていなかったし、漫才をする場がなくなったからだ。結果、直で、すなわち普段の絡みの中で自分が面白いということを証明しなくてはならなくなった。そこで、行ったのがキャラづくりである。「熱い人」というキャラを作ったのだ。そして、そのキャラを認めてもらうためにとにかく語るのである。twitterなどでどんどん語ったのである。しかし、それは小学生の時のような語りではない。とにかく周りにいる人をどんどん肯定するという語りである。「あの人って、、、だから、面白いんだよね。だから、俺はあの人が好きなんだよね。」と。

 

このことについて、芸人・マキタスポーツさんが本名の槙田雄司で出版された著書『一億総ツッコミ時代』のP.41に書かれている文でぴったりのものがあったので引用させてもらう。

もしくは、他人を笑わず、自分で面白いものを見つける能力を育てたほうがいい。ツッコミ的な減点法の視点ではなく、面白いところに着目する加点法の視点を身に着けるべきだと思っています。

 

そう。僕は、高校二年でお笑いに対するスタンスのパラダイムシフトが起きたのだ。

減点法から加点法へ。

そうやって、どんどん周りの人たちを肯定していった。その上で、その人たちとどうやって絡もうかを考えたのである。小学生のときとの大きな違いはその面白いと肯定した人たちともっと面白いことがしたいと思ったことである。

さぁ、

このようなことがあと何回、これからの人生で起きるだろうか。

たくさんの出会いがある時期だからこそ

さて、今日は何を書こうか。

 

地元を離れて一か月が過ぎた。この一か月は長かった。全く知らない街での生活にはそこまで苦労はしなかったが、初対面の人との絡みには相当なエネルギーが要した。

そんな一か月が過ぎGWという長期休暇で一息つくと地元でお世話になった人たちのことを思わずにはいられない。四月の初めに地元の人たちの方のtwitterのアカウントを削除したので今、彼らがどのような状況なのかは全く分からない。いったい彼らは今、どうしてるのだろうか。

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ブログを始めてみた。

僕はとにかく面白いことがしたい。それは、決して他人のためではなく自分が楽しむためである。

この18年間のうち少なくとも今日までの10年間はそうやって生きてきた。これからもそうやって生きていくだろう。小学生のときにお笑いの世界を知ってそこからどっぷりハマっている。自分でもなぜここまでどっぷりハマっているかは分からないがとにかく面白いことを考えているときや、やっているときが楽しいのだ。

というわけで、ブログを始めてみた。

だって、なんか面白そうじゃん!!

ただ、それだけ。

何を書いていくかは全く決めていない。とりあえず自分の思考を整理するために使う。