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思考の整理箱

何かしらの経験を得たうえで考えたことをツラツラと書いています。とても理屈っぽいです。言うことが二転三転することがあるかもしれませんがご容赦ください。

中学生にドン引かれても満足している理由。

 今日の学習支援での出来事についてすこし書きたいと思います。今日は,担当の子が来なかったので,ボランティアとしての自由度が比較的高い中一生がいるゾーンに参加させていただきました。そこで僕自身のキャラクター設定を考えて!!とそこにいた中一生に言われたので「しゃあないなぁ」といいながら,軽い絵と生年月日から始まる,諸々の個人情報を公開しながら,自分が小学校の頃に受けた「いじめ体験」を話しました。もちろん僕としては面白い話として,話したつもりですが,残念ながら中一生は少々引いていました。

 内容を簡単に言いますと,小2の時にいじめられていることを当時の担任に言ったら「お前がキモいことするからだ―。」とクラス全員の前で怒鳴られたということと小5の時にサッカー部の先輩が作ったデスノートに後輩唯一僕の名前が書かれていたとうことです。

 まぁ,今考えたら確かに引かれても仕方ないかなぁと思われる内容ですが,今までの経験上大体ウケてきたので少し戸惑いました。たぶん,中学生にとってはこの話は残酷な話として捉えてしまったのでしょう。たしかに残酷と言えば残酷ですが,僕はあんまりこの出来事に関してそのようには感じていません。当時は辛かったと思いますが(あんまり当時のことは憶えていません。),僕の人生の中で,この出来事にはそのような意味づけをしていないのです。ではどういう意味づけをしているか申しますと,いまいちそれもぱっとしません。たぶん,これから,この話をいろんな人にしていく中で,きっと誰かがこの出来事に何かしらの意味づけをしてくれるとおもっています。

 僕は,今日,中学生に引かれてしまったことに対しては後悔しています。なぜなら私は「面白いこと至上主義」の人間だからです。やっぱり最後は笑いに変えたい。しっかり笑いに昇華したい。残念ながら今日はそれが出来なかった。これは非常に後悔しています。しかし,今日の出来ごとにどこか満足している自分もいる。この「満足の中身」が今日僕が伝えたいことです。

 中学生と関わるうえで僕が常に意識していることに「その子の10年,20年先を考えて関わる」ということがあります。どういうことかと申しますと,僕が明日の受験のための勉強を教える先生と化すのであれば僕はボランティアとして学習支援をする必要はないと思っています。そうではなくて,その子の人生の10年,20年先のどこかふとした瞬間に「あっ、あの時あの大学生が....」と思い出してもらえるその瞬間を作るために僕は学習支援をしたいと思っているということです。

 もしかしたら,今日,中一生に話した話はその瞬間を作れたのではないかという淡い期待がもてたという点において,私は中学生に引かれても満足しているのです