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思考の整理箱

何かしらの経験を得たうえで考えたことをツラツラと書いています。とても理屈っぽいです。言うことが二転三転することがあるかもしれませんがご容赦ください。

『友達』やめませんか。

 本日は,私なりに社会へのアンチテーゼをしてみたいと思います。アンチテーゼとは大変かっこよく言ってみたものの簡単に言えば「そのあたりまえっていったい何ですか?」という私なりの問題提起だと思ってもらえば結構です。

 さて,そのアンチテーゼというのがここ数年ずっと考えている「友達って概念をやめませんか。」というものです。

  最近は変わりつつありますが,私が幼少期だった頃はまだ「友達がいること」は善いこととされていました。さらに言えば,「友達は多ければ多いほど善い」というのが僕の周りにいる人の多くの「あたりまえ」でした。しかし,私はこの「あたりまえ」に大変苦しめられていました。なぜなら,第一に「友達」の定義が私には全く分からなかったからです。それは今でもわかりません。「俺とお前は友達だよ!!」と言ってきた人が別の人に私の悪口を言っていたなんていうことはよくとまではいきませんが,あることでしたし,小学生ならばどうしようもないことですが,昨日まで「俺とお前は友達だよ!!」と私に言っていた人にいじめられたこともありました。それは,私に関してだけではありません。私の周りにいた人同士にもそのようなことはありました。「昨日までAさんはBさんと友達って言っていたよな。それなに今日は...」ということが。そんな中,果たして友達というのは一体どのような関係なのかが私はあんまりよくわかりませんでした。何が分からないかをもう少し具体的に申しますと,友達という関係性は「相互認証」によって確立されるのか,それとも「一方向からの認証」によって確立されるのか。これは人によって全く考え方が違い,それがまた私を混乱させることになります。さらに友達にも階層というものが存在しており,例えば典型的な例は「親友」という存在です。この「親友」の定義も「友達」の定義と同じく私にはよくわかりません。「親友」をたくさん持つ人もいれば,一人しかいない人もいる。しかも,これは決して友達の人数に比例するわけではなく,各々の価値観に依存しています。しかし,その全員に共通しているのは「親友」という存在は「友達」より親密な仲の存在であるということです。それが私にはよくわかりません。いったいその人との関係を何をもって,親密としているのか。さらにこの「親友」についていえば「親友」だけではなく「心友」や「真友」と言った新たな「シンユウ」を持ち出してくる人もいる。私からしたらもうカオス以外の何物でもありません。なぜならこれらの「シンユウ」を真の意味で使い分けることができている人に人生で一度も出会ったことがないからです。

 さらに,私の通っていた高校は男女比率が9:1という高校でしたので,男女間での「友達」(あえて,ここでは使いますが)が成立しないわけでもなかった。しかし,あまりに親密な仲になり過ぎると周りから「恋心」を疑われました。全くそんな気が両者になくてもです。これは非常に不思議でした。いったいどちらなのかと。男女間の「友達」は成立するのかしないのか。さらには「親友」は成立するのかしないのか。

 そのような経験を経て,思ったのが冒頭にあげた「友達って概念をやめませんか。」というある種のアンチテーゼです。私からすると「友達」という概念は大きなゴミ箱のように感じてしまいます。「燃えるゴミ」と「燃えないゴミ」を分別するかのように,自分を取り囲む人を「友達」と「友達でない人」とで分別しているだけのように感じてしまうのです。そして,私からすると,このような作業はどこか相手を軽くとらえているような気がしてしまうのです。なぜなら,たいていの場合,この分別は無意識のうちに行われます。「今日から彼とは友達でーす。」と宣言をしてから友達になる人は少なくとも私の周りには見たことがありません。多くは「気が付いたら友達です。」というパターンです。そして,この分類において,友達という一括りにされた人たちはどの人も自分からしたら代替が可能です。これは,友達が多ければ多いほどそうなりがちになる。だから,昨日の今日で悪口も言える,いじめることもできるのではないでしょうか。私はそう思うのです。

 そこで,私は友達という概念による人間関係が「一対多」という関係ならば私が現に実行している人間関係が「一対一」という関係になると思います。イメージとしては前者が「一人の人間と大きな○(○の中では多くの人が居ますが)が一本の線でつながっている」のに対して後者は「一人の人間から無数の線が伸びており,その線の先には一人の人間がつながっている」ということになります。つまり,私が現に実行している人間関係は他人を一切,分類しません。この人とは「○○に言って,こんな話をして,こんなことをした間柄」。あの人とは「よく○○をしていて,○○を言いあう間柄」。とういうような関係になります。こうなると,欠かせなくなるのが出会った人,一人一人に対する自分の人生における意味づけです。「この人に出会ったから~だ。」「あの人とあの時出会ったから~だ。」という意味づけです。これが出来ない相手とは大変大胆に申しますと「出会っていない」ということになる。残酷と言えば残酷ですがそういう事になります。ですので,非常に人との出会いを大切にするようになります。

 どちらの人間関係が善いか悪いかではなく,最初に申し上げた通りこれはあくまで,今の社会に対するアンチテーゼ,言い換えるなら問題提起ですので今の人間関係に対して全く気にならない方はどうぞスルーしてください。