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思考の整理箱

何かしらの経験を得たうえで考えたことをツラツラと書いています。とても理屈っぽいです。言うことが二転三転することがあるかもしれませんがご容赦ください。

組織における「代替可能性」と「代替不可能性」

 

 本日は,先日とある先輩と話していて気づいたことを文章にしたいと思います。この半年間,僕は2つの組織に所属していました。2つとも立ち上げと同時に参画させてもらい初期メンバーとして未だに参画させていただいています。大変ありがたいことです。両方とも学習支援のボランティアのですが,この2つの組織には大きな違いがあります。それは,新規立ち上げ時に母団体がいたかいなかったです。簡単に言えば,組織としての枠組み(運営の仕方など)をある程度最初から与えられていたかいなかったかという違いです。運営をしてみるとわかりますが,これは本当に大きな違いです。この違いによって生じるさらなる違いというのはその組織の「持続率」とでもいいましょうか。すなわち,今後どれくらいその組織が続くかということです。もちろん今後何が起こるか分からないので,実際には何十年経ってみないと分かりませんが,現状としての実感としては全く違います。前者の方が(枠組みを与えられていた方が)圧倒的に実感としての「持続率」が大きい。これは当たり前と言えば当たり前なのですが,私にとっては大きな発見でした。今日,私が書きたいことはこの「持続率」と関連しています。というのも,組織を10年,20年さらには「半永久的」に持続可能なものにさせたいのであれば「組織の人員」は誰しもが「代替可能な存在」でなければなりません。さて,ここからが今日の本題です。

 もう少し,上記のことを詳しく書いてみるならばこうなります。組織を半永久的に持続可能なものにさせたいのであればその「運営方法」は「代替不可能」なものでなくてはならず,と同時にその「運営方法」は「誰でも出来るようなものでなければならない」という事になります。この意味において「組織の人員」は「代替可能な存在」でなければならないということです。例えば,初回メンバーのその人でなければこの組織の運営はできないというのであればその人が死んでしまったらその組織は運営できなくなってしまいます。特に,学校教育などの制度を考える上でこのような視点は非常に重要だと思います。学習支援というのも僕はこのような組織運営の考えに基づいて運営するべきではないかとおもっています。しかし,私は決して,現場における学習支援に参画している大学生や教師が「代替可能な存在」でいいと言っているのではありません。そうではなくて,現場において,すなわち,子どもと接するという行為において学習支援に参画している大学生や教師は「代替不可能な存在」,言い換えるならば「固有の存在」になるべきだと思っています。少し,話が難しくなってきたかもしれませんが,もう少しお付き合いください。

 ここで,皆さんに整理してもらいたいことは上記の2つのこと―「組織の人員」と「現場における学習支援に参画している大学生や教師」は,これらを見ている視点が全く違うという事です。前者はマクロな視点,後者はミクロな視点で見ています。このことをまずは整理して下さい。つまり,組織運営という大きな視点でそこに所属している人を見るとその人たちは「代替可能な存在」でなければなりません。一方,生徒との関わりという小さな視点でそこに所属している人を見るとその人たちは「固有の存在」でなければなりません。では,これらの視点をもってして組織を運営するとは一体どういうことかというのが次なる僕のテーマであります。そのことについてはまたの機会に譲ることにしましょう。