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思考の整理箱

何かしらの経験を得たうえで考えたことをツラツラと書いています。とても理屈っぽいです。言うことが二転三転することがあるかもしれませんがご容赦ください。

「経験至上主義」がどやされた件について

 私は、「経験至上主義」の人間です。
 「経験がすべてである!!」とまでは言いませんが、経験がない人(言い換えるのなら「現場に出ていない人」)の発言というのはほとんど当てにしていません。

経験至上主義はダメ?

 私は、幼少期のころよくこんなことを言われました。「頭でっかちになるなよ!!」と。私が昔から、とってもイタい子どもでしたので(高校受験の時、クラスで受験勉強を頑張ってしている同級生に対して「その勉強何の意味があるの??」とか訊いちゃうくらい。)親や親戚の人たちには本当によく言われました。当時、僕は周りから見たら「いつも理屈ばかりを言っている面倒なやつになっていた」のかもしれません。いや、それは今も変わらないとは思いますが。
思い返せばなぜ私が「経験至上主義」を掲げるようになったかという理由は上記のことがあったからかもしれません。
 あとは、昨年度、それなりに経験を積ませてもらって(言い換えるなら、“現場”に行かせてもらって)、やはり誰かと話すときに経験が多い人の話の方が面白かったというのもあります。
 ですが、「私は経験至上主義です。」といろんなところで公言していましたら、つい先日、とある方からお叱りを受けました。
 「大学生にもなってそんなことを言っていてはダメだよ。」と。なかなか厳しいお言葉です。
 その方がおっしゃるには、「僕は理論ばかり勉強してきたけれど、今、現場に出てみて僕より現場に出ていて、それなりにちゃんと経験してきた人とほとんど意見は一致する。」とのこと。
 その方のご専門は「教育社会学」で、現在、小学校にフィールドワークとして行っています。そこで、自分と同じ歳の人と一緒に子どもたちに勉強を教えることがあるそうです。その時に、一緒に教えている先生のその時、その時の精神状態や感情(焦っているとか、驚いているとか、困っているとか)がほとんど分かるそうで、その時にその先生がどうやって子供に対処すべきかもわかるというのです。
 そして、その意見というのはほとんど年配の経験を積まれてきた先生の意見と一致するのだそうです。
 こんなことを聞いたらさすがの「経験至上主義」の私も改心するしかありません。

経験至上主義を越えて

 たしかに、しっかりと理論の方も詰めなければいつか破綻してしまいます。
 その方がおっしゃるには、「経験至上主義」の悪いところは、経験に独りよがりになることです。僕なりの解釈ですが、経験に独りよがりになるというのは「“私は”あれもやった、これもやった」という事実だけに固執して、それら経験の背景にあることだとか、それらの活動の意味だとかを全くもって考えていない。そもそも知ろうとしないということではないかと思います。
 この半年間、学習支援の現場に二つも行かせてもらっていてそこでの経験が自分のものに出来ていないなと強く感じています。
 その方から言わせたらなんでそうなるかというと「考え方を知らないから。」だということです。なるほど。ここからは僕の勝手な考えですが、ある経験を自分のものにするということをもう少し具体的に言いますと、「その経験にあらゆる角度から意味づけし、経験を色んな形でリンクさせる。」ということではないでしょうか。
 この「あらゆる角度」というのがまた難癖で、「自分にとって」だけではだめなのです。「相手にとって」しいては「その集団にとって」。いや「社会にとって」というとっても大きな枠組みも含めてということになりそうです。その枠組みの中で意味づけし、それぞれの経験の共通項を抽出したり、それぞれの経験をつなげてある種のストーリーを作ったりする。
そのためにはやはり“考え方”、しいては理論を多く持つしかなさそうです。
 その方に言われたことで衝撃だったのは
  「だから、長澤君さ。“頭でっかち”になれってこと。」って言葉です。
 ですので、経験にも力を入れつつ、理論の方も必死こいて学んでいこうと思います。言うならば、「経験と理論の両輪主義」となりそうです。
 学問の世界では当たり前のことかもしれませんが、私にとってはとても重要なご指摘でしたので、ここに備忘録として記しておきたいと思います。