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思考の整理箱

何かしらの経験を得たうえで考えたことをツラツラと書いています。とても理屈っぽいです。言うことが二転三転することがあるかもしれませんがご容赦ください。

投票しない人は『ダス・マン』である。

 参院選がとうとう10日後に迫ってきました。そんな中、先日、同じ年齢の人が「投票には行かない!!投票なんて意味ない!!」ってなことを言っていました。どうして投票に行かないのかと聞くと「世の中が変わらないから!!」「全然、政治のことなんかわからないから!!」というなんともありきたりなことを述べていました。大学でいったい何を学んでいるのでしょうか。
 しかも、その発言を中学生相手にして、中学生と「そうだよね!!」と意気投合までしていたのです。その場に居合わせた僕は絶句して何も言えませんでした。

『投票しない人』=『ダス・マン』論

 お釈迦さまがその様子を見たら、本当に「この世は末法の世だ。」と言うでしょうし、親鸞が見たら「他力本願もここまで進むとは。(焦)」と言うのではないかと思います。

 そんなことは、さておき。

 上記のような事例はそんな特別なことではなく、よくあることです。

 僕は、「投票なんて行ったって・・・」という人を否定するつもりは全くありません。それはそれでいいのです。ただ、僕が気になるのは、そういう人の大多数がどうも浅慮であるように思える点です。言うならば、理屈を聞いた時に簡易版リベラリストかご都合リベラリストか阿保さ丸出しリベラリスト(通称:AML)としか思えないということです。(言い過ぎました。ごめんなさい。これは決してリベラリスト批判ではありません。真のリベラリストの方々はもっとしっかり考えておられます。)

 本当に思考してますか?と言わざるを得ない。

 なぜなら、「世の中が変わらないから投票は意味がない。」というこの理屈ですが、そもそも前後関係を間違えています。
 「世の中が変わらないのはあなたが投票をしないから」であって、世の中が変わらないから投票は意味がないのではないのです。
 そして、一人ひとりの一票は確かに微々たるエネルギーかもしれませんが、投票をしないというのはその微々たるエネルギーにすらならない。つまり、1%の可能性を0%にしているのです。
 「投票なんて行ったって・・・」という人はこのことを全く考えていないのです。

ある人に言われて納得したのですが、「投票をしない人」というのは「いじめにおける傍観者と同じ」なのです。この両者はいわば「サイレントマジョリティー」なのです。そして、サイレントマジョリティーというのは権力者の「名もなきYESマン」なのです。いじめにおいて、「いじめを傍観している人もいじめているのと同じ」とよく言われるように、選挙において「投票しない人は時の権力者のやり方に賛同しているのと同じ」なのです。「何も言ってないんだから中立だ!!」という理屈は通じません。なぜなら、「中立とは名もなきYESマンになること」ではないからです。(そもそも中立などという概念自体、不透明な部分が多い。)

 「名もなきYESマン」なんぞ、死んだも同然。なぜなら、「名もなきYESマン」は基本的なスタンスとして「無責任」なのです。(あえて、ここでは「責任」という言葉を使います。) いうならば、「当事者意識」を全く持たないのです。
 「結果がどうなろうが自分には関係ない!!」。
 これが「名もなきYESマン」の基本的なスタンスなのです。

 そんな人に存在価値はありますか?

 「名もなきYESマン」なった時点であなたはあなたの存在価値をあなた自身でなくしています。
 どういうことかと言うと、「名もなきYESマン」はあなたじゃなくてもいいのです。誰でもいいのです。この世に居てもいなくてもいい存在だということです。だって、そもそもそんなあなたには名前すら付与されないわけですから。AさんとかBさんですらない。いや、通行人ですらない。

 その意味において「名もなきYESマン」は「ダス・マン」(by ハイデガー)なのです。なんて悲しいことでしょう!

投票するということについて

 投票をするということは一つの「意思表示」です。「“私(=○○○)”は△△△だと思います!!」と自らの名前をもってして意思表示をすることです。そうすることによってあなたがあなたになる。(大変、哲学チックでごめんなさい。) でも、その「意思表示」はとても怖いのです。なぜならあなた自身が否定される(あるいは、批判をされる)かもしれないからです。でも、私たち人間は賛成/否定に関わらず意思表示をしなければなりません。

 それは誰のためかと言うと「自分のため」であり、「社会のため」でもあるのです。この両者は比較できるものではありません。両方は比べられないくらい大切なのです。フェニミズムという運動の中でよく言われていることで、とても重要な考え方ですが、「個人的なことは政治的なこと(The personal is political.)」だということ。このことを僕たちは今一度、しっかり理解するべきです。
ということで、投票するためにはまず自らの考えを持つこと。次に相手(各政党)の考えを知ることです。「分からないもん!!」で済まされることではありません。

 ソクラテスは「無知の知」ということを言いましたが、「私はどうせ無知ですよ!」と開き直ることを推奨したわけではありませんよ!!
 「無知の知」を自覚した上で、対話することの重要性を説いたのです。